天才になりたかった話

書きたいなーと思いつつ、家に帰るとPC電源押すのめんどくさい・・・

ってなりがち。自分の生活自分が主導権握ってれば、やろうと思ってたことができるし、気分もいいよね。充実感が得られるし、イメージで言うと食べたかったものが食べれて心地よい満腹感といったかんじかな。

 

さて、タイトル通り。

天才になりたかった話を。

 

自分は目標、達成、努力が好きじゃなくて。

いや、他人が頑張ってるのは良いんだけどそれらを求められるのが本当に嫌いで。

 

しょうもないプライドが傷つくのが嫌なんだろうな~とはわかっているんだけど、

じゃあどうしてそうなった?って考えると私が小中学生のころとは努力に対する文化?が違うんじゃないかなと思ったんだ。

 

それか私の好みなんだけど。

 

私が小中学生のころに人気があった漫画って、すごく覚えてるのが「テニスの王子様」「ヒカルの碁」「DEATH NOTE」なんだよね。

で、どの主人公もめっちゃ努力してます!って姿勢は全然見えないんだわ。

デスノートに至っては最終的に努力家のメロは死んで天才のニアが秀才の夜神月に勝っちゃってるし。

それに対して、昨今は映画にしろなんにしろすごく「努力してがんばってきた」っていうのが強く描かれている気がするんだ。

もしかしたらSNSの台頭でセルフプロデュース力の高い個人が「がんばってる私」をアピールして、そういうのが世の中に受けるようになってるのかわからんが。

 

ただ、どことなくいままでの「努力は見せません」から「これだけ努力してるよ」みたいな風潮になってるのかな~と思うのだ。

なんとなく、努力より天才って感じてたんだろうな。

努力ってかっこ悪いと思ってしまったんだ。

今思うと、努力自体が青春そのものでもあると思えるのに。

 

天才になれば、せめて秀才であればすべて行くと思っていたんだ。

 

仕事も自分もわからない

どうも、あしたばです。

タイトル通り就活の時から

「やりたいことなんて漫画読んで寝るか美術館行くか本読むこと以外に特にないよ。自分のこともわからないのにやりたい仕事について整合性をもって説明できるかーーーー!!!」って思いが解決されずもやもやし続けています。

先を生き急ぐがゆえに、振り返った時になにも残ってないんだよなってことが

やっとわかったのがついさっき。

そして腹割ってはなすとか、素直に気持ちを伝えるとか、物事に向き合うのが

本当に苦手で苦手で

書くのも得意ではなくて。

でも、少しでもかっこつけずにいられるようになりたいと思い

そして友人の影響もあり、普段考えていることを備忘録として

綴っていこうかなと勢いのままスタートしました。

書き溜めたものを振り返った時に自分ってこんな感じなんだなっていうのが

少しでもつかめるといいなと思う。

 

ただ、根本的に本当のことは隠したい。

自分を見られたくない。傷つきたくないって気持ちがとても強い。

一般人が謎めかしてみてもそれはただの埋没なんですけどね・・・

 

ファンタジーの読みすぎで、いまだにある日癒しの手を手に入れるんじゃないかとか

霊感あるんじゃないかという思いが消えない。

消えないながらも「地に足つけて生きていかなきゃ」という気持ちも芽生え

仕事とはなんぞや?が腹落ちしないとずっと、「お腹いっぱいなのに何か食べたい。でも食べたいものが分からない。」みたいな状況が続くんだろうなってことは分かってるから早くなんとかしたい。

問題を分けて考えればいいんだけど、分けて考えたものをくっつけたら上手くいくかっていうとそうは上手くできてないんだよなあ…

となると、バランスが大事になってくる。

芯がないから、不安をあおるような文章にそれは見事に煽られる。

「何を選んでも、それが正しかったって言えるように力ずくでもやるわ。」

って友達が言っていて。その時は何言ってるのかわからなかったんだけど、

今は、成功になるまでどんな道選んでもやり続けるって意味なのかなって思える。

凄いなって思うと同時にその強さに妬んだりして。

私は自立できてないんだよねって落ち込む。

決めるとやらなきゃいけなくなるから、決めないのが積み重なって

何も決められなくなってる。

そのことにもう向き合う時だなって。

そんな話。

 

*ここまで書いてみてわかったのは言い訳ばっかりってこと。