天才になりたかった話
書きたいなーと思いつつ、家に帰るとPC電源押すのめんどくさい・・・
ってなりがち。自分の生活自分が主導権握ってれば、やろうと思ってたことができるし、気分もいいよね。充実感が得られるし、イメージで言うと食べたかったものが食べれて心地よい満腹感といったかんじかな。
さて、タイトル通り。
天才になりたかった話を。
自分は目標、達成、努力が好きじゃなくて。
いや、他人が頑張ってるのは良いんだけどそれらを求められるのが本当に嫌いで。
しょうもないプライドが傷つくのが嫌なんだろうな~とはわかっているんだけど、
じゃあどうしてそうなった?って考えると私が小中学生のころとは努力に対する文化?が違うんじゃないかなと思ったんだ。
それか私の好みなんだけど。
私が小中学生のころに人気があった漫画って、すごく覚えてるのが「テニスの王子様」「ヒカルの碁」「DEATH NOTE」なんだよね。
で、どの主人公もめっちゃ努力してます!って姿勢は全然見えないんだわ。
デスノートに至っては最終的に努力家のメロは死んで天才のニアが秀才の夜神月に勝っちゃってるし。
それに対して、昨今は映画にしろなんにしろすごく「努力してがんばってきた」っていうのが強く描かれている気がするんだ。
もしかしたらSNSの台頭でセルフプロデュース力の高い個人が「がんばってる私」をアピールして、そういうのが世の中に受けるようになってるのかわからんが。
ただ、どことなくいままでの「努力は見せません」から「これだけ努力してるよ」みたいな風潮になってるのかな~と思うのだ。
なんとなく、努力より天才って感じてたんだろうな。
努力ってかっこ悪いと思ってしまったんだ。
今思うと、努力自体が青春そのものでもあると思えるのに。
天才になれば、せめて秀才であればすべて行くと思っていたんだ。